バディソウル 対テロ特殊部隊 | 鳴海 章 [ミリタリー]
―銃弾《リアル》の飛び交う戦場が、ここにある。
もはや圧倒的と評するしかない情報量で、精密に組み上げられた戦闘でした。
本作を読んでいる最中に、テロリストの持つAK-47(決してAKB48ではない)から
吐き出された薬莢が地面に落ちる音まできこえてきましたね。
そして、その現場に漂う息苦しさも伝わってきます。
その気になれば、現場に漂う埃まで見えるでしょう。
近接戦闘に狙撃、制圧戦から多岐にわたる描写は、まさに一本の映画を堪能するが如し。
現代戦を忠実に再現した大スペクタクルなのだ。
さて、ここまで書いたところで、とある疑問が。
「『リアル』って、何だろう?」
…お前、冒頭で『リアル』って言葉つかっとるやないけ、知らん言葉なら使うなよ。
そういわれても反論できませんが、まあ、リアル=現実と認識してはいるのですよ。
今回の場合、現実感とか、現実味がある、という感じの言い回しでしょうね。
ぶっちゃけ、小説は物語であって、現実ではない。
まあ、当たり前の話だろう。
そして、小説と現実は不可逆である。
現実を忠実に再現した小説や手記はあっても、小説という形態を取ってしまうと、
途端に物語化してしまう代物なのだと、思っているからだ。
何かを伝えるということは、既にそこで情報の劣化を招き、現実ではなくなる。
記録となるのだ。
現実とは、自分の体験によるものでしか純度を保てない。
ならば、すべての物語は虚構に過ぎず、嘘と欺瞞の装飾に過ぎないのか。
そう思ってしまう。
だが、決め付けてしまうのは、まだ早い。
我々には、人を思いやる想像力があるからだ。
他人の痛みを想像する能力が備わっているのだ。
それを優しさと呼ぶのだろうと思う。
物語を読むことで発生する感情は、純粋な『リアル』だ。
訓練を積み、相棒を頼りにし、上司と部下を信じ、人質を救おうとする。
銃弾の飛び交う戦場は命がけだ。
その決意を、「現実ではない」と笑うことは、したくないと思いました。
もはや圧倒的と評するしかない情報量で、精密に組み上げられた戦闘でした。
本作を読んでいる最中に、テロリストの持つAK-47(決してAKB48ではない)から
吐き出された薬莢が地面に落ちる音まできこえてきましたね。
そして、その現場に漂う息苦しさも伝わってきます。
その気になれば、現場に漂う埃まで見えるでしょう。
近接戦闘に狙撃、制圧戦から多岐にわたる描写は、まさに一本の映画を堪能するが如し。
現代戦を忠実に再現した大スペクタクルなのだ。
さて、ここまで書いたところで、とある疑問が。
「『リアル』って、何だろう?」
…お前、冒頭で『リアル』って言葉つかっとるやないけ、知らん言葉なら使うなよ。
そういわれても反論できませんが、まあ、リアル=現実と認識してはいるのですよ。
今回の場合、現実感とか、現実味がある、という感じの言い回しでしょうね。
ぶっちゃけ、小説は物語であって、現実ではない。
まあ、当たり前の話だろう。
そして、小説と現実は不可逆である。
現実を忠実に再現した小説や手記はあっても、小説という形態を取ってしまうと、
途端に物語化してしまう代物なのだと、思っているからだ。
何かを伝えるということは、既にそこで情報の劣化を招き、現実ではなくなる。
記録となるのだ。
現実とは、自分の体験によるものでしか純度を保てない。
ならば、すべての物語は虚構に過ぎず、嘘と欺瞞の装飾に過ぎないのか。
そう思ってしまう。
だが、決め付けてしまうのは、まだ早い。
我々には、人を思いやる想像力があるからだ。
他人の痛みを想像する能力が備わっているのだ。
それを優しさと呼ぶのだろうと思う。
物語を読むことで発生する感情は、純粋な『リアル』だ。
訓練を積み、相棒を頼りにし、上司と部下を信じ、人質を救おうとする。
銃弾の飛び交う戦場は命がけだ。
その決意を、「現実ではない」と笑うことは、したくないと思いました。
コメント 0