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ナ・バ・テア |森博嗣 [文芸]

やっと読んだ。スカイ・クロラとあわせて。
何ヶ月放置してただろう・・・。
ここ誰が読むかわからないけど、だから先に付け足しときます。
今回引用多いです。


もしも、人間の見本として誰かの写真を図鑑に載せるとして、
「わたしがもっともふさわしい。なぜならわたしはもっとも普通だから」
なんていう人は多分誰もいないだろうな。

 引用します。

  どうして、普通のものを決めるのだろう。普通を決めるから、普通じゃないものができてしまう。
  理不尽な話ではないか。何をもって普通なのか。意味はないのに。そういう確固とした理由も
  ないところで境界を無理に作ろうとする姿勢が、普通という馬鹿なやつの正体だ。


まったくその通りだ。みんなそう思うだろう。
でもそういう姿勢をとらない人間は、いないと思う。
そうすることで、優越感をもったり劣等感を持ったり、尊敬したり馬鹿にしたりしてる。

少なくとも異物になりたくない、とりあえず普通になりたい。

考えてみると、こういうときは周りをよく観てるけど自分のことしか考えてない。
関係ありそうでなさそうだけど、ふと「イメージの歌」を思い出した。

 引用します。

  「醜いものを、格好の良いものにすり替える。全部そうだ。汚いものを、綺麗なもので
  カバーする。反対はありえない。外見だけは美しく見えるように作る。
  しかし、そうすることで、中はもっと汚れてしまう。この反対はない。(略)」

  「あなたは、どうして生きているのですか?」
  「俺か?俺は、簡単さ、汚いものが、それほど嫌いじゃない」
  「そんなの、単なる言い訳です。詭弁です」
  「そうだ、そういう単なる言い訳、そういう詭弁の汚さが、好きなんだよ」


単純に、なんかかっこいいなと読んだとき思った。
あ、だから飛ぶんだ。いわゆる大人ではないんだ。飛ぶ資質をもってるんだ。
とは書きながら思った。

結局、子どものまま、では生きていけないってこと?
大人が間違ってるってこと?
的外れか?

もう一回読んでみよ。
わからないこと、見つかりそうなことがもう少しありそうだな。
そんな感じ。

先に映画を見せてもらったから、空の描写はそっちから引っ張ってこれた。
映画と本、両方みたのは初めてだったけど、まあありじゃないかな。


最後に引用を引用します。
  おもうに、ほとんど理性をもたず、悲しむべき習慣をもった脂ぎった人間は、
  思想ゆたかなすばらしい理論を有する人間と同じ美しい器官にも多彩を極めた
  機関にも値せず、ただ餌を受入れてそれを排出する一個の袋にすぎない。
   『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上下』(杉浦明平訳・岩波文庫)

目の上のコブ的な上司にありがたいお言葉を頂戴して、自室に戻ってこれを手記に書きなぐっている姿。
勝手に想像して笑ってしまった。
その場で言っちゃうと子どもってことになるんだろうね。


ナ・バ・テア

ナ・バ・テア

  • 作者: 森 博嗣
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本



タグ:森博嗣
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